2013年11月11日月曜日

自分を救え No.0533

ボランティアとか、他人に与える、ということなのだけど、もう一回だけ続けるね。というか、このままだと片手落ちになりそうなのさ。

ちなみに、何度も言うけど、私はボランティア推奨派でも何でもありません。「地球を救え!」というより、「自分を救え!」というタイプです。自分が満たされてなければ何もできない、と思うのです。今日はそのお話。

ボランティア、寄付、人に施すことはとてもすばらしいことです。でもさ、ここで大切なのは、例えば、全てをなげうって寄付すれば尊いかというとそうではないと思うの。

寄付はいいことだよ。困ってる人を助けるのは、とてもいいことだよ。でもさ、助けた結果、自分が今度その「困ってる人」になっちゃ元も子もないよ、というわけです。


結論。

私の場合は、まず、コップの水を考えます。自分のコップの水がいっぱいになって、、、
溢れ出したら、、、

まずは仲間に分け与えます。


ここがポイントなんだけど、私は自分を犠牲にしていないのです。


仲間は大切。

しかし、自分を犠牲にして何かをしたとする。すると、今度は自分が仲間に迷惑をかけることになってしまいます。


・・・


会社経営で言えば、赤字なのにふんだんに社員にボーナスを払うようなものです。最終的には、会社は倒産し、社員に迷惑をかけてしまいます。

それは、渡したボーナスとは比べ物にならないくらいの金額になるでしょう。


余談だけど、ウチの親父は6億の負債をつくって倒産したんだよね。父さん、倒産しちゃったの。(当時、このジョークを言って回ったけど、誰も笑ってくれなかった)


別段、寄付で倒産した訳ではないけれど、ライオンズとか入ったりして、なんかボランティア的なこともいろいろやってた。でも、親父がやるべきは、寄付ではなく、健全な経営だった(当たり前だけどね)。


まあ、これは親父をかばう意見になっちゃうけど、私の経験上、破産したり、倒産したりする人って、実は「いい人」のほうが多かったりするんだよね。

ちょっとずるい人は資産を隠したり、計画倒産したりもする。だって、うまく網の目をくぐれば、自分自身が破産せずに済ませることなんてカンタンだからさ。まあ話がそれたな。


つまりは、ボランティアもいいし、寄付もいいけど、そんなんなっちゃいけないよ、ということをお伝えしたかったのです。


・・・


まあとにかく、、、

まずは、自分が潤ってください。一番先に、コップの水を満たしてください。

でさ、こう話すと、「コップの基準」というのが大切になると思うの。いったいどれくらいの大きさのコップが満タンになったらいいのか?という問題です。

コップの基準が大きければ、いつまでたっても満タンにならないから寄付ができないよね。


で、私が考える、コップの水の基準は・・・


最低、“誰にも迷惑かけず食える”ことです。


これができるまでは、絶対に寄付とかボランティアとか考えるより、自分を救うべきだと思うのです。

まず食べる。

自分、もしくは自分の守るべき家族なり、それらがまず困らず食べられること。あ、ここで言う「食べる」は食事だけではなく、生活、という意味ね。


他人様に迷惑にならず生きていけること。

これが先です。

そのあとは、、、

自分で好きにすればいいです。


最低食えることを基準にするか、最低これだけの生活ができることを基準にするか。つまり、コップの基準をどの大きさにするか。それは個人の自由です。


コップの水を常に満たしてください。
そこからあふれる分を、好きなようにしてください。


「与えるものこそ王者なり」

私の好きな言葉です。で、王者であるには、当然ながら自分のコップくらいは満たしていなければなりません。


・・・


まあ、とにかく、他人よりもまずは最初に「自分を救え」です。それから好きなだけ、仲間や友人、地球や環境、関係のない他人様、何でも好きなだけ、、、

救っちゃってください。


でわー


写真は、以前に偽善をしたときのものだよ!

自分で言うのは変だけど、子どもたちを売りさばくために物色しにきた、人身売買業者に見えるような気がするよ!よい子のみんなは、こんな大人になっちゃいけないよ!




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