2017年7月6日木曜日

ひとつのブログ

「そうか、もう君はいないのか」
という本がある。実はまだ読んでもいない(怖くて読む勇気がない)けれど、このタイトルって、これだけで全て内容がイメージできてしまうよね。
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ある日、ふと気がつくと、いつもいるはずの伴侶が先立ってしまったことに気づく。

それは普段のリビングなどの何気ない場所。ふと、名前を呼んでしまい、現実に戻る。

そうか、もう君はいないのか。

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秀逸なタイトルだと思ってた。城山さんという作家。そしたら、これは決して本を書くために書いたものではなく、奥さんに宛てた日記だったらしい。

出版されたのは、書いたご本人が亡くなってからだそうだ。

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実は、今日はこの本の話じゃないんだ。

たまたま、このタイトルで検索していたら、ひとつのブログを見つけたの。

ブログ主、プーちゃん(奥さんからそう言われていた)は両親から虐待を受け育つ。妹と家を飛び出て勤めたバイト先で容ちゃんと知り合う。人間不信でだれにも心を開けなかったプーちゃんにとって、容ちゃんは唯一の光となり、生きる糧となっていく。それから20年、仲睦まじく暮らす二人。そんな容ちゃんにガンが見つかる。

そのプーちゃんが、この本について書いていた。そのブログのお話。

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「奥さんの名前は容子さん。偶然にもうちのかみさんと同じ名前」と語るプーちゃん。

著者、城山さんの気持ちが手に取るようにわかる、というより、全く同じ現実を共有している。

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容ちゃんを失くしたことで、生きている意味をもまた失くしてしまうプーちゃん。

こういうことがあると、よく聞くセリフがある。

「いつまでも悲しんでたら、亡くなった誰々が悲しむ」「かみさんのためにも早く立ち直りを」とか。

いろんな慰め言葉はあるだろう。

また、自死を願う人に「逃げるのは卑怯」とかいう意見もあるだろう。

でも、実際には、、、

こうなった人にしか、この気持ちはわからない。

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「生きていることが苦しい。いつかかみさんが迎えに来てくれる。その時は至福の中で死んでいけるだろう」

と綴るこのブログ、文章も読みやすく、しかも克明に気持ちが表現されてる。(しかも、文章段落分けに私と同じ「・・・」を使う人)

記事は2000近くある。

一番最初の記事から、ずっと読み込んでしまった。シェアさせていただきたい。

よければ、読まれてみてください。

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この方の2012年12月1日の記事で、

「かみさんのことを、会ったこともない誰かが知ってくれている、そのことがどんな慰めよりもありがたい」

と記す方ゆえ、了解は得てないが許されるかと思っています。(容ちゃんさんのことが一人でも多くの方の記憶に刻まれれば意味があるのではないかと)

会社や、電車の中で読むのは避けた方が良いです。お一人の時にどうぞ。

「そうか、もう君は〜」の記事を載せますので、よければ一番最初のページに戻り、読んでいただければと思います(家マークを押して表題を出し、下の方の右端矢印で一番古い記事に行けます)。

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最愛の伴侶を失う、これは人生で最大のショックだといいます。自分が死ぬことよりもずっと。

そんな時は、山のような慰めの言葉は全く意味をなさない。

もし、わずかに仄かな光があるとしたら、それは共感だけなのかもしれない。

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ひょっとして、、、
同じような経験をされた方、また、それ以外でも、どうしようもない喪失感に苛まれておられる方がいたとしたら、

決して解決にはならないし、また、気持ちが楽になることもないかもしれないけれど、、、

お読みになって、感じる事があるかもしれません。

http://blog.livedoor.jp/youchan1201/archives/41919662.html

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